僕の実家では犬を3匹飼っていたのだけど、その内の真ん中の犬が1月2日の夜、旅立った。
そしてその翌日には去年の12月頃から入院していたおじいちゃんも亡くなった。
おじいちゃんのことは別で書くとして犬のことを。
名前は杏と言い、12才でした。
僕には全然懐いていなくて、わりと怒りっぽい性格だった。
前日まではいつもと変わらない様子だった。
いつも通りトイレをしていつも通りおやつを食べていつも通り鳴いていた。
2日の昼ごろ、具合が悪いみたいで病院に連れていかれた。
連れていかれる時全然鳴いてなかったので、思ったより状態が悪いのかななんてことを思ったけど、薬をもらって無事帰ってくるだろうと気にしてなかった。
「スポーツ王は俺だ」というテレビ番組でちょうど我らが村上がホームランを打ったあたりで親と杏が帰ってきた。
そして亡くなったことを告げられた。
その瞬間、頭が真っ白になり、ホームランなんてどうでもよくなった。
ほんとに前日までは元気だったのに、あまりに急すぎた。
それだけに突如やってきた喪失感に対応できない。
後悔、後悔、後悔。
それだけが頭の中を占領する。
おやつをもっとたくさんあげてやればよかった。
イライラして強く怒ってしまった時もあった。
後悔なんていっぱいある。
もっと優しくできた。
死の前日までのちゃんと動いていた時のことを思い出すとどうしようもない悲しみに沈んでいく。
泣いて泣き止んで、しばらくしてまた泣いて、と繰り返したここ数日、少し落ち着いたけど、空っぽになったいつもいた場所を見ると涙があふれ出てくる。
泣いている時、ふと悲しむことは亡くなったペットのためなんじゃないかと思ったんです。
悲しみが深いということはそれだけ愛情が強かったということであり、涙の量はそれだけ愛していたという気持ちの具現化で、つまり悲しみ涙を流すことはもちろん自分のためでもあるけれど、同時に亡くなったペットのためでもあるのではないか、とそんなような気がしたんです。
泣いてばかりいては亡くなったペットが心配してしまってちゃんと天国に行けない、みたいなことを言う人もいるが、僕は最初そういった考えは違うと思った。
悲しみ涙を流すことはただネガティブなだけではなく、哀悼の意も含んでいると思っているから。
でも少し考えて、そういった考え方もありなような気もしてきた。
天国に行けるか行けないかなんて知らないけれど、結局は立ち直らなきゃいけないのだから。
いつになるかわからないけど。
今回の杏の死で動物に対してもっと、今以上にもっと優しく接しなければならないなと心から思った。
でもこの得た優しさを杏に対して向けられないことが何よりも辛い。
今までありがとう。
安らかに。