うわーってなった時の処方箋

苛立ちと憂うつと退屈

自分の機嫌は自分でとらないと

と人を介して間接的に人から言われたらしい。

この言葉の意味を考えてるけどよくわからない。

考えるたびイライラが募ってくるだけ。

アドラー的な、昔の心理学者の言葉がまた流行ったのかと思って調べたら、自己啓発系の本を書いてる実業家の言葉を芸人がテレビで言ったものらしく、出自のしょうもなさに余計苛立ってきた。

自分の機嫌を自分でとるってなに?

なぜそんなことを会ったこともない他人に言われなきゃいけない?

この言葉の持つ我慢することの美徳、ポジティブの押し付けみたいな印象が気持ち悪すぎて到底受け入れられない。

俺の悲しみも苦しみも苛立ちも孤独も幸福も全部俺の心の中にあるもので、他者に理解してもらおうとも分かち合おうとも思ってない。

嫌なことや悲しいことがあっても、仕事中はなるべく普通の顔でいようとしてる。

それでも暗い顔になってるかもしれないけど、そんなんで笑顔を続けてたら頭おかしくなる。

まず、人に機嫌をとってもらおうなんてそこまで他人に期待してない。

どっかで耳にした借り物の簡単な言葉でラベリングして強引に当てはめて、正論風の主観を主張して自分は正しいと思い込んでるんだろうが、ただの思い上がりだし余計なお世話なんだよ。

ポジティブであることは生き方の正解ではないし、ネガティブが間違いでもない。

前向きに生きたいと思ってもそれはただの願望で、実際はうまくいかなくて日々悩み続けている。

俺は自分が好きな人や信用できる人としか関わりたくないと思って、だからこそSNSもやらないで違う他人の思考を見ないようにしてる。

でも生きてればこうやって間接的にも関わりたくない人とも関わってしまう。

価値観が違う人の知り合いはそら価値観違うよなっていう。

そいつ殺してぇ。

誰にも見つけられない星になれたら

つらい時に救ってくれるのは友達でも恋人でも親でもなくて結局音楽だと思う。

それが人によっては本だったり映画だったりアニメだったりするのだろうけど。

人と人の関わりではすれ違い、齟齬が生まれるけど、音楽は今自分が必要としている言葉を歌ってくれるし、感情の共有ができる。

ぜんぶが軽薄に感じても、自分がいちばん信頼してる人たちの曲だけが寄り添ってくれる。

居場所

バイト先のおばはんに嫌われてるらしい。

俺に対して気に食わない点があるらしく、他の従業員に、ガツンと言ってやろうかなって言ってたらしい。

言いたいことがあるならさっさと言ったらいいと思う。

だるいから今度会った時に言いたいことがあるらしいじゃないすかって直接言おうかな。

 

俺のこの無愛想で陰鬱な感じは優しい人には受け入れられるけど、ちょっとでも陰湿さがある人には今までも嫌われてきた。

その人とは普段の固定で入ってる日は被らなくて、追加で入ってる日にシフトが被るから、余計に出なければ会うこともないので、今月追加で入れてる日を出るのやめようかとも思ったけど、逃げてるみたいでなんとなく嫌だから一応出るつもり。

居場所がないなんて10代の頃からよくある光景だったし、今更何も思うことはないんだけど。

それにその頃に比べたら今はまだ理解してくれる人が周りにいるし、完全に孤立してるわけじゃない。

それって大事なことだと思う。

慣れてるったって孤立はつらい。

メンタル

ひとりで生きていたってふたりで生きていたって結局何かに悩むし傷つく。

人と関われば傷つくこともあるし、けどひとりでいても傷つくってそれだけのこと。

精神の調子が悪い時って原因はわかってても理由はわからない時がある。

あの出来事のせいで暗い気持ちになってることはわかってるけど、なぜこんな落ち込んでるのかわからない、みたいな。

そういう時に目を背けるんじゃなく、なんでなのか理由を考えるんだけど、なかなか見つからない。

メンタルが落ちるトリガーなんていくらでもあるし、しょっちゅう落ち込んでそのたびに向き合おうとするのはそれはもう苦痛を求めてるような気がして自分で意味がわからない。

無題

実家に帰ってきている。

住んでたときはなんともなかったけど、久しぶりに帰るとアレルギーがひどい。

 

Amazonで買った商品をさっき宅配ロッカーに取りにいった。

その帰りに、同じ階に住む1歳年上の女の人の家の前を通る時にちょうど中から人が出てきて、会釈だけした。

低身長でメガネをかけてて、ぼんやりとした記憶の中から面影を探そうったって無理な話なんだけど、その人なのか判別できなかった。

まず学年が違うし、登校班の時に一緒に登下校したくらいで、たいして関わりもないからわかるわけないんだけど、やっぱり同じマンションの同じ階で同じ10代という時間を過ごした者同士、感慨深いものがあるので。

小学生の頃以来会ってないし、当時は俺の方が身長が低かったから、あんな身長低いかな?って疑問が浮かんだ。

余談だけど、成長期によって子供の頃は女性の方が身長が高く、大人になって男女の身長差が逆転する現象にセンチメンタルな気持ちになる。

そもそも29歳には見えなかったような気がするけど、かといってその人の子供だと年齢的に合わないし、まあどうでもいいことなんだけど。

恋愛

つくづく俺は恋愛が向いてないなと思う。

前に友達が相手に申し訳ないから彼女を作らないと言っていたのを思い出す。

すごくわかる。

世の一般的な男性のように、写真スポット的な場所で一緒に写真を撮りたいと思わないし、ポーズもうまくとれない。

気の利いたことも言えないし、ひねくれたことばかり言ってしまう。

人間的に未熟な部分や欠落した心、偏屈な感性がきっと相手を困らせている。

そういったことがいっぱいあるから、相手に申し訳ないという感情になる。

でもどうすることもできない。

それが俺という人間だし、鈍感になりたくないと思う。

消えそうなままでもひかりつづける

10代の頃はよく死にたいとおもってた。

長く生きたくないと。

でも、なんだかんだ30歳が近づき、うだうだ生きてしまっている。

惨めな過去は消えないまま、一緒に歳をとった。

ときどき懐かしい痛みや恥ずかしさ、死にたさに襲われながら。

死んで全てを感じなくなれば楽だといまだに思う。

けど、生活はたいして変わらないまま毎日が続いていくんだろう。

けっきょくのところ、塗り潰して上書きしていくしかないんだ。

 

鐘の音が聞こえる方へ耳をすませる。

アイリスの香りがする方へ歩く。

最低な日々の中に紛れこんだ光を抱きしめる。

消せない過去と共に。