うわーってなった時の処方箋

苛立ちと憂うつと退屈

失うことが生きることなら

先週の木曜日の朝、僕が小学校低学年の頃から飼っている犬が亡くなった。

今年の春に一人暮らしを始めていたのだけど、痴呆がひどくなり、死んでしまうかもしれないと母親から連絡があり一度実家に帰ってきていた。

2ヶ月ほど経つのにいまだバイトも決めていないことが幸いししばらく世話をすることができ、バイトを決めてなくて本当によかったと思った。よくないけど。

 

それで実家に帰ってまず犬を見てみると寝ていた。

しばらくして起きたので話しかけてみたが、どうにも様子がおかしい。

なんの反応もなく、ボーッと一点を見つめるような感じで、もう完全に忘れられていた。

ほんのちょっと前まではまだ僕のことを覚えていたし、老化は進んでいたのだろうけどちゃんと歩けていたしちゃんと生きていた。

それなのにちょっと会わなくなっていただけでこんなにも変わり果てていてショックだった。

 

そして1日も経たないうちに寝たきりになってしまい何も食べなくなった。

見る見るうちに衰弱していき、病院でいつ死んでもおかしくないと言われたことを聞き、淡い希望がなくなった。

でもどこかこっからまだ一年生きるかもしれないと思おうとする自分がいた。

そうなったら仕事も探さなきゃいけないしどう世話をしようかなどと現実的なことを考えたりもしたが、すべて杞憂におわった。

 

ただただ悲しい。

覚悟はしていたけれど、悲しいのだから悲しい。

7日と少し経ち涙を流す回数は減ってきてはいるものの、暗い気持ちが続き何かをしようにも気力が湧かない。

いる必要のなくなった実家にもいまだ無意味に住みついている状態。

この悲しみをどうにか整理したいと思い、「デューク」や「スピンクの笑顔」などを買って読んでいるが、どうにもならん。

 

失って気づくことが色々ある。

耳が悪くなったり目が見えづらくなってたり寝てることが多くなったり老化していることはもちろん分かっていたけど、思い返してみると、昔はあのおもちゃが好きだったな、とかよく日が当たる畳の部屋で寝てたな、とか犬の行動も知らず知らずのうちに変化していたことに今更気づく。

そういったこと全部が愛おしい。

子供の頃からずっと一緒に生活していたのだから、もうこの世にいないということが信じられないというかどういうことなのかわからない。

当たり前に過ぎていた日々に戻りたい。

生きることが苦しく辛い。

悲しいよ。